福太郎の日記

備忘録

春歌上 その4

  (題しらず) 権中納言国信

22.春日野の下もえわたる草の上につれなくみゆる春の淡雪

「下もえわたる」は「下萌え」(地中から生え出る)と「下燃え」(心中で思い焦がれる)の掛詞。春日野の地中から芽生えた草の上に、無情にも見える春の残雪よ。「下燃え」のほうは「つれなし」の縁語で、ある種の擬人法的な読み方?

 

  春雪のふりけるをよめる  つらゆき

23.霞たち木のめもはるの雪ふれば花なき里も花ぞ散りける

見立ての技法で例としてかならず出る超有名歌。「霞たち木のめも」が「はる」を導く序詞で、「はる」は「張る」と「春」の掛詞。春霞が立って、木の芽もふっくらと張る――春に雪がふったので、まだ花が咲かない里にも花が散ったのだなあ。雪を花に見立てている。おなじ春の雪でも、印象が全然違いました。

 

  家歌合に  後京極摂政

24.空はなほ霞みもやらず風寒えて雪げにくもる春の夜の月

空はやはり、春霞もたっておらず、風が冷たくて、春霞ではなく、雪が降りそうな様子に曇っている、春の夜の月よ。最近も暖かくなったと思ったら次の日にはまた寒い、と寒暖差が激しいですが、そういう、急に冷えた頃か。そろそろ春霞が出ても良さそうなのに、キーンと冷えた風。空を見ると朧に見える月。あれは霞ではなく、雪が降りそうな雲で朧に見えるんだなあ…。

 

  崇徳院に百首歌奉りけるに  後待賢門院堀河

25.ときはなる松もや春を知りぬらん。初子をいはふ人にひかれて

色の変わらない、常緑樹の松も春を知ったのだろうか。初音を祝う人に引っ張られて。

 

  春のはじめによめる  藤原言直

26.「春やとき、花やおそき」と聞きわかん。鶯だにもなかずもあるかな

「春が来るのが早いのか、それとも花が遅いのか」と聞き分けてみよう。しかし、それを聞き分けるための鶯さえも、まだ鳴いていないのであるなあ。

 

  二条后宮の春のはじめの御歌

27.雪のうちに春はきにけり。鶯の氷れる涙今やとくらん

まだ雪があるうちに春は来たことだなあ。鶯の凍った涙は今融けているだろうか

春歌上 その3

  寛平御時后宮の歌合歌 源当純

13.谷風にとくる氷のひまごとに打ち出づる波や、はるのはつ花

最初は四句切れの和歌かと思ったが(波なのだろうか、春の初花は。)、それだと「波なるや」とかになるのか(?)。川の波を花に見立てているけれども、氷が溶けてその間に生じる波って、なんともささやかな感じがする。凍った川が溶け出す姿を見たことがないけど、もしかして水かさが増して却って激しくなるのか?ストラヴィンスキーが「3つの日本の抒情詩」という曲の中で、この詩を題材にしているらしい。

谷から吹いてくる風で、融ける氷のあいだあいだから流れ出る川波が、春の最初の花であろうか。

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  題しらず 山部赤人

14.「あすからは若菜つまむ」としめし野に、昨日も今日も雪はふりつつ

明日から若菜摘みしよ!と思ってたのに、昨日も今日も雪が降って、全然若菜摘み出来ない…ってこと?なんかカワイイ 早く新しく買った自転車を使いたいのに、雨が降りつづいているせいで全然外に出られない…という感じかな。

 

  (題しらず) 平兼盛

15.今日よりは荻の焼原かきわけて、「若菜つみに」と誰をさそはん

今日から、荻の野焼きをしたところをかきわけて、「若菜摘みに行こう」って誰を誘おうかな?(チラッと誘いたい人を横目で見ながら…)ということ?これもカワイイ。「明日からやる映画、YouTubeで予告見て面白そうだったから見に行きたいんだけど、まだ一緒に行く人決まってないんだよね~~」とか言ってる人いそう。

 

  (題しらず) よみ人しらず

16.春日野の飛火の野守出でて見よ。今いくか有りて若菜つみてん

「てん」は確述の「つ」未然形に推量「む」の連体形(疑問の副詞があるから、文末は連体形)。「飛火の野守」は「のろし台の番人」のことらしい。野焼きをしている人のことか。「春日野ののろし台の番人さん、出てきて見なさい。後どれくらいで若菜が摘めようか?」……だから、『となりのトトロ』で、どんぐりを植えたサツキとメイが、いつになったら芽が出るかな~って楽しみに見守っているシーンを思い出しました。

 

  (題しらず) (よみ人しらず)

17.深山には松の雪だに消えなくに、都は野べの若菜つみけり

木の上の雪すら消えないなら、若菜摘みなどまだまだ先のよう。子どもの頃、田舎住まいだったので、漫画もおもちゃも都会よりも届くのが遅くて、テレビで発売日を見ても「ああーまだここには来てないのに……」とやきもきしていましたが、あんな感じかな。

 

  (題しらず) (よみ人しらず)

18.梓弓おしてはるさめけふふりぬ。あすさへふらば若菜つみてん

梓で作られた弓をおして弦をはる――春雨が一面に今日降った。明日も降ったら、きっと若菜が摘めるだろう。「はる」が「張る/春」の掛詞で、「梓弓おして張る」⇒「春雨今日降りぬ」とかかっていく序詞。グググッとおして弦を張った梓弓と、翌日以降にパッと芽吹くであろう若菜のイメージが重なります。修辞技法なんて使っちゃってるけど、これもわくわく感が隠しきれない感じがカワイイ。

 

  みこにおはしける時、人に若菜賜はせける御歌 光孝天皇御製

19.君がため春の野に出でて若菜つむ。我が衣手に雪はふりつつ

百人一首にも採られる有名な歌。あなたのために春の野に出て若菜を摘みましたよ。私の衣の裾には雪が降っていましてね……。前半は可愛いけど後半はなんだか恩着せがましい。「ケーキ好きかなと思って、買ってきちゃった。人気店だから一時間も並んじゃったんだけどね」っていうと、まあ言っちゃうか。並んだこと、言いたいもんね。東京は目白にあるエーグルドゥースってケーキ屋さん、とっても美味しくて関東に住んでいた時にはたまーに買ってたけど、やっぱり誰かに買っていくときには言っちゃってたもんね、「ここ有名・人気店でさー」って……。

 

  歌奉りける時 紀貫之

20.春日野の若菜つみにや。白妙の袖ふりはへて人のゆくらん

絵が浮かぶから、屏風歌とかか?「にや」は断定「なり」連用形+疑問の係助詞「や」で、結びの省略。「ふりはふ」は「わざわざする・あえてする」意の副詞らしいけど、岩波文庫の訳は「勢いよく振る」となっている。三省堂『例解古語辞典』を引くと、ちょうどこの歌が用例として出ていて、「袖振」で「ふりはへて」を導いている、とあった。だから「袖を振り、わざわざ行く」ということだろう。「らん」は現在の原因推量。

「春日野の若菜を摘みに行くのだろうか。真っ白な袖を着た人がなぜ袖を振りわざわざいくのであろうか。」春日野に白い服を着た人々が袖を振りながら行く絵があって、それを見て「わざわざ白い袖を着た人が袖を振って行くなんて、若菜摘みにでも行くのかな?」という感じ?

 

  堀川院に百首奉りけるとき 源俊頼朝臣

21.春日野の雪を若菜につみそへて、けふさへ袖のしをれぬるかな

春日野の雪を若菜に加えて摘んで、今日まで袖が萎れて濡れましたなあ。

うーん……だから何って感じ……。元歌は千載和歌集のようだから、あとで図書館で確認しよう。

 

若菜シリーズカワイイ!ってなって多めに読んだけど、後半二首はあんまり可愛くないな。

 

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春歌上 その2

  堀川院に百首歌奉りける時、立春歌  権中納言国信
7.みむろ山谷にや春の立ちぬらん。雪の下水岩たたくなり

三室山「らむ」は現在の原因推量、「なり」は伝聞推定。三室山は桜や紅葉の名所として知られる、こぢんまりとした山。雪の下の方が融けて、そこには水が流れていて、岩を叩く音が聞こえる……ということでしょうけど、雪の降らない沖縄にいるので、情景があまりピンとこない。雪って下から融けることがあるのか?冷え込んで、川が凍って、その上に雪が積もっている。段々と川水も融けてきて、雪の下で流れる音が聞こえる…ということかな。水の流れを聞いて、春の訪れを感じるって良いですね。沖縄で聴覚から感じる春はなんだろう。

三室山の谷では春が立ったのだろうか。雪の下に流れている水が、岩を叩いているようだ。

 

  正月一日、二条后宮にて白き大袿賜りて 藤原敏行朝臣
8.ふる雪のみのしろ衣うちきつつ「春きにけり」とおどろかれぬる
詞書の大袿とか禄として用意する大きな袿で、着用する時に仕立て直す・「降る雪の蓑代衣」と、「古る身」とをかける(新大系・こういう掛詞はどうやって見つけられるのか)。蓑代衣は蓑の代わりに使う衣のこと。「春きにけり」の「けり」は気付き。「おどろかれぬる」は自発の「る」連用形+確述「ぬ」連体形。連体止め。

降っている雪のような真っ白な大袿を、年老いた我が身に簔代わりとして着つつ、「ああ、私にも春が来たのだなあ」とハッとさせられた。

 

  題しらず 曾禰好忠
9.三島江やつのぐみわたる蘆のねのひとよばかりに春めきにけり
「ひとよ」に「一節」と「一夜」を掛け、「ひとよ」までが序詞。「つぐのむ」は「角のむ」とも書き、草木の芽が出ることいい、特にススキやアシ/ヨシ、オギ、マコモなどについていうらしい(日国)。三島江は大阪府高槻市にある場所で、蘆とともによく詠まれる。蘆はしつこい雑草……と昔は思っていたけど、川辺にたくさんの蘆がぶわっと広がっていて、風に揺れている光景を想像すると、確かに春めいていて気持ちが止さそう。三島江について検索すると、高槻市が動画を作っていた。今はバーベキューが出来るように整備されているらしい。わざわざ大阪までバーベキューをしにいくことは無いと思うけど、もしやる機会があるなら、春にやりたいね(大阪も花粉は酷いのかな)。

三島江、そこに一面に芽吹いた蘆の根の一節――たった一晩で春めいたのであったなあ

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  (題しらず) よみ人しらず
10.春霞たてるやいづこ。み吉野の吉野の山に雪はふりつつ

「たてる」の「る」は完了・存続「り」の連体形で、ここは準体言用法。「つつ」は繰りかえしを表す副助詞で、下に「全然春の気配は無いよ」等の言いさしがあるのでしょう。吉野と言えば桜……ですが、古くは雪のイメージが強かったはず。

春霞が立ったのはどこだろうか。この吉野の山にはしきりに雪が降っていて――。

 

  崇徳院に百首歌奉りける時、春歌 待賢門院堀河
11.雪ふかき岩のかけ道跡たゆる吉野の里も、春はきにけり

新大系によると、「世にふれば憂さこそまされ。み吉野の岩のかけ道ふみならしてむ」(古今和歌集・雑下・読み人しらず)の本歌取りらしい。もとの歌は「世間を過ごしていると辛さばかりが増えていくよ。吉野の岩の険しい道を行き来してしまおうか。」という内容か。「ふみならしてむ」を「跡たゆる」といいかえて、辛い思いをしてきた人々が修行にこもり、しかも雪に振り込めたために、誰も訪れない寂しい雰囲気の吉野がイメージされるので、下の句の「そこにも春は来たんだなあ」という、春の明るさが印象に残る感じかな。沖縄から関東に出て、深夜のバイトをした帰り、はじめて見る雪に興奮したのもつかの間、すぐにあまりの歩きづらさに辟易した記憶があります。整備されたコンクリートですらあの歩きにくさ。雪降る険しい岩道なんて、とても人が歩くようなものじゃないでしょう。

雪が深く降りつもる、岩の険しい道に、人跡も絶えた吉野の里、そこにも春は来たのだなあ。

 

  一条院御時、殿上人は春歌とこひ侍りける 紫式部
12.み吉野は春のけしきに霞めども、むすぼほれたる雪の下草

前の歌では「吉野にも春が来たなあ…」と、なんだか気持ちの良い、鬱屈とした冬からの解放を感じられたけれど、そういう気持ちの良い春に逆接が続いて、「むすぼほれたる雪の下草」……雪の下には融けずに凍ったままの草があるよ、なんて、なんだかひねくれた配列。

紫式部集では詞書が違っていて、「正月十日のほどに、春の歌奉れとありければ、まだ出で立ちもせぬ隠れ家にて」とある(清水好子紫式部岩波新書・131頁)。その解説によると「『雪の深い吉野山でさえ春らしく霞が立ち込めていますのに、私は雪に埋もれた下草にひとき身でございます』と答えた下の心は、『中宮様の春の日の光のような御仁慈に浴さぬ身は、いまだに雪に埋もれて芽を出せぬ草のごときもの』と、四季鵜呑みにとって出仕がこの上ない恩恵になるはずだと述べている。……さきの歌の意味はたしかに中宮の恩顧を讃えたものだが、慎重にそれだけにしていて、早く参上したいという積極的な表現はどこにもない。むしろ、かなり渋っている様子が窺えるものである。詞書きにある『隠れ家』というのも、式部の実家ではなく、人に会うのを避けて、身を潜めていた感じがする。」

吉野は春めいた様子で霞が立ち込めているけれど、まだ凍りついたままの、雪の下にある草よ。

 

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春歌上 その1

和歌が苦手なので、『定家八代抄』を読みながら和歌を勉強したいと思います(続くところまで)。底本は、岩波文庫『定家八代抄 続王朝秀歌選』(樋口芳麻呂・後藤重郎校注)を使用しますが、読みやすいように句切れなどには句読点を付けます。

 

  旧年に春立ちける日よめる  在原元方

1.年の内に春はきにけり。一年を去年とやいはん、今年とやいはん

「けり」は気付きのけり。「や」は疑念。古今集の一首目で、とても有名な歌。

「先づ古今集といふ書を取りて第一枚を開くと直に「去年とやいはん今年とやいはん」といふ歌が出て来る実に呆れ返つた無趣味の歌に有之候。日本人と外国人との合の子を日本人とや申さん外国人とや申さんとしやれたると同じ事にてしやれにもならぬつまらぬ歌に候。」……と、正岡子規は言った。

 

  立春の心を  壬生忠岑

2.春立つと言ふばかりにや、み吉野の山も霞みてけさは見ゆらん

「や」は「らん」にかかる(結びの省略ではない)、「らむ」は現在推量…と思ったが、現在の原因推量かも(疑問もあるし)。立春と言うだけで、今朝は吉野の山もかすんで見えるのか?(眼前では見ていない)/立春というだけで、どうして吉野の山も今朝はかすんで見えるのだろうか?(眼前で見ていて、その原因を推量する)……原因推量の方が良さそうだ。

 

 (立春の心を) 源重之

3.吉野山みねの白雪いつ消えて今朝は霞の立ちかはるらん

「らん」は現在の原因推量。いつの間にか吉野山の白雪が消えて、春霞になっている。一体いつ変わったの!?

 

 (立春の心を) 後京極摂政

4.み吉野は山も霞みて白雪のふりにし里に春はきにけり

藤原良経

遠くの吉野山で春霞が見えて、ああ、あの古都にも春が来たんだなあ…

 

 (立春の心を) 院御製

5.ほのぼのと春こそ空にきにけらし。天の香具山霞たなびく

後鳥羽院

まだ地上にまでは来てないけれども、空には段々とあの春が、来たようだなあ。天の香具山に霞がたなびいているよ。

 

 (立春の心を) 凡河内躬恒

6.春立つと聞きつるからに春日山きえあへぬ雪の花と見ゆらん

「あへぬ」は「~しきれない」「~できない」、「らん」は現在の原因推量。

立春」と聞くと、なんで春日山に解けきらずに残っている雪が花に見えるのか。

 

6首目がオシャレ。耳に入った情報で、残雪が花に見えたり。単なる見立てとは違う感じがする。「春が空に来たらしい」と詠む5首目も良い。きっと遠くの山にかかる霞を見ている後鳥羽院は、地上で厚着をしているんだろう。

1首目は超有名(と同時に正岡子規の中傷も有名)。今で喩えるとどうなるんだろう……楽しみなコンサートの前日、0時を過ぎた時に「もう今日コンサートじゃん!」という感じ?車で旅行中、目的の県の県境を過ぎた時に「もう○○県じゃん!」みたいな気持ち?正岡子規が言いたいことも前半は分かるけど、後半の喩えはズレている。

 

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今年見た映画

1月…詩人の恋

2月…燃ゆる女の肖像

02/23 花束みたいな恋をした

02/26 この世界に残されて

05/03 名探偵コナン 緋色の弾丸

05/05 ラーヤと龍の王国

05/23 Junk Head

06/11 ノマドランド

06/17 Junk Head(2回目)

06/23 ファーザー

07/10 14歳の栞

07/18 モータル・コンバット

07/23 ペトルーニャに祝福を

08/06 イン・ザ・ハイツ

08/11 クー!キン・ザ・ザ

08/19 ロード・オブ・カオス

09/03 シャン・チー テン・リングスの伝説

09/18 アメリカン・ユートピア

09/26 すべてが変わった日

09/26 サマー・オブ・ソウル あるいは、革命がテレビ放映されなかった時

10/02 007ノー・タイム・トゥ・ダイ(IMAX

10/03 赤ひげ(午前10時の映画祭)

10/15 007ノー・タイム・トゥ・ダイ(ドルビーアトモス/2回目)

10/17 レミニセンス

10/24 空白

10/30 未来世紀ブラジル(午前10時の映画祭)

10/30 スイング・ステート

10/31 MINAMATA

11/07 エターナルズ

11/12 きのう何食べた?