〇序章 われわれの恋愛から何が残ったか
理論と常識(6頁~10頁)
「というのも私からすれば、理論が主として興味ぶかく、また真正なものに思えるのは、(中略)文学研究において通念にたいして理論が挑んだ活力あふれる容赦ない闘いゆえであり、また、それにたいして通念が同じように断固として示した抵抗ゆえである。」(7頁)
「「この一節をどう理解したらいいでしょう?作者はわれわれに何が言いたかったのでしょう?この詩句や散文のどこが美しいのでしょう?作家の見方が独創的なのは、何に由来するのでしょう?ここからわれわれはどんな教訓をひきだすことができるでしょうか?」このような悩ましい問いは、一時は文学理論が一掃してくれたかに思えた。しかし答えは通りすぎたが、問いは残った。残された問いは、ほとんど変わっていない。」(8頁)
「問いかけはいつも同じなのに、答えのほうが矛盾だらけで脆弱なのだ。そうだとするとやはり妥当なのは、理論が向こうにしようとした通念、理論が息切れしたのちに息を吹き返した同じ通念から再出発し、理論が提示した反体制的な回答を再点検すること、さらにそのような回答がなぜ旧来の疑問を最終的に解消できなかったのかを理解しようと試みることであろう。」(10頁)
文学の理論と実践(10頁~14頁)
「まず理論というからには(中略)その前提として、その理論が直面し、それを理論化しようとする実践があるはずだ。」(10頁)
「理論は、常識と対立するのである。」(12頁)
「理論派、文学研究の実践、つまり文芸批評や文学史の実践と対照的なモノで、このような実践を分析し、記述し、そこにみられる前提を白日のもとにさらすこと、つまりそのような実践を批判することがその役割である(批判するとは、切り離し、区別することである)。そのようなわけで理論とは、おおまかにいうなら批評の批評であり、ある意味でメタクリティックなものである(言語にたいしてその機能を記述する文法を対峙させたり、言語活動にたいしてそれについて語るメタランガージュを対峙させるのと同じである)。」(13頁)
理論、批評、歴史(14頁~15頁)
理論はひとつか複数か(16頁~17頁)
「文学の理論とは、私からすると、分析し、疑念を抱く態度であり、懐疑を学ぶこと(批判)であり、あらゆる(広い意味での)批評活動の前提に疑問を投げかけようとするメタクリティック名視点であり、たえず「私は何を知っているのか」と自問することである。」(16頁)
文学の理論なのか、文学理論なのか(17~18頁)
「文学の理論といえば、(中略)文学と文芸批評と文学史がなりたつ諸条件についての考察であり、批評の費用であり、メタクリティックだといってもいい。」(17頁)
「文学理論のほうは、もっと反体制的で、はるかにイデオロギー批判の様相を呈する。」
文学を諸要素に諌言する(18頁~)
「理論と常識の関係は、当然のことながら対立をあhらんでいる。したがって理論をもっとも試練にさらすことができるのは、理論の標的となった文学に関する通常の言説なのである。」(18~19頁)
『文学をめぐる理論と常識』アントワーヌ・コンパニョン 著、中地義和・吉川一義 訳 2007年11月